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「杜子春」から见る芥川龙之介の人性観(1)(1)

作者:高考题库网
来源:https://www.bjmy2z.cn/gaokao
2020-10-25 09:47
tags:息子

章的意思-锋利的近义词

2020年10月25日发(作者:关君蔚)



中文摘要


芥川龙之介的『杜子春』发表于1 920年。此作品改变了唐代传奇小说『杜子春传』,但
是与原著有多处的差异。本论文通过对芥川的作 品中『杜子春』的经历,表达了对母爱的向
往和应该认真生活的人生态度。更多的是把自己的心情和对人 生的看法,对母亲的爱融入到
了其中,把自己积极,有为的入世观赋予作品之中. 作者把原作中对孩子 的爱,改为对母亲
的爱.由此可见芥川很爱自己的母亲.在『杜子春』表达了对母爱的憧憬. 芥川通过对原作的
改写,融入了自己大胆的想象,使故事内容、人物形象变得更加 充实、丰满。通过同原典
的比较分析,结合作家的特殊的人生 经历来分析芥川对母爱以及人生观的变化.

关键词; 母爱; 人生观; 杜子春

要 旨

芥川龍之介の『杜子春』は1920年に発表された。この 作品は唐代伝奇小説『杜子春传』
を改編したものである。しかし、原作とは多くの点で差違がある。本 文は芥川氏の作品の
中の『杜子春』を通じて、母親への愛の憧れと真面目な人生態度について表現した 。また、
自分の心情と人生に対する見方、母親に対する愛をその作品の中へ融合した。
作品のなかで母親の愛の偉大さをテーマに躍動している。原作では子供に対する愛を
母親に対する愛に 換えた。この点から見て、芥川氏は自分の母親を非常に愛していること
が伺える。『杜子春』の中で自 分が母親への愛に対する憧れを表現した。芥川氏は原作を
もとに自分の想像や経験などを融合し、物語 の内容、人物像をより充実なものにした。原
作との比較を通じて、そして、作者の特殊な人生経歴と結 合して芥川氏が母親に対する愛
及び人生観の変化について分析する。

キーワード;母親の愛;人生観;杜子春

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杜子春」から見る芥川龍之介の人性観
------------- 母性愛への憧れを中心に



目 次
はじめに???????????????????????????????? 3
1.芥川龍之介について
1.1 芥川龍之介の生涯 ??????????????????????????3
1.2芥川龙之介と『杜子春』???????????????????????????4
2 『杜子春』と芥川龍之介の人性観???????????????????????5
2.1 母親の愛に対する憧れ???????????????????????????5
2.1.1 母親の愛に対する未練?????????????????????????6
2.1.2 人性の問題について??????????????????????????7
2.2追い求める母親の愛と人性観????????????????????????8
3母親の愛と人生観??????? ???????????????????9
3.1愛情と我がままな性格 ?????????????????????????10
3.2利己主義者批判と母親の愛の偉大さ????????????????????10
3.3芥川氏が人生に対する思考?????????????????????????11
おわりに(結論)?????????????????????????12
注?????????????????????????? ???? ?14
用例出典?????????????????????????????? 14
参考文献?????????????????????????????? 14
謝辞???????????????????????????????? 14




2








1はじめに

本文は『杜子春』を中心に、前人の研究成果の上で芥川龍 之介の生活経歴と結びつけ論
じる。『杜子春』は原作と大きく異なり、自分の心情や人生に対する考え を母親に対する
愛のなかへ融合した。また、母親の愛の真実性及び平凡な生活のなかの真の幸福という モ
ラルを主題とし、母親の愛情と人性の肯定等の問題について提議した。そのため、本文で
は 『杜子春』を中心に、芥川氏の個人生活経歴を通じて、原作と比較を通じて分析し、芥
川氏が中国古典 題材小説の創作方法及び芥川文学の独特魅力を通じ、『杜子春』の中で母
親の出現をもとに、自分が母 親への愛に対する憧れを表現した。


2.1芥川龍之介の生涯
< br>芥川龍之介(1892-1927)は日本の大正時期を代表する作家の一人である。1892年に芥川龍之介は東京に生まれた。本名は新原、ミルクを配達する人の息子である。実の母親は
32歳の ときに彼を生んだ。生後7ヶ月に母親が精神異常となった。その後本所区小泉町
に住む祖母の家に引き 取られた。芥川家は数十代に渡り文学、演芸、美術などにおいて引
き継がれ、厳しさのなかに博学であ った。そのため、家庭環境の影響も尐なからず受けた
芥川氏は古典に関心を持つようになり、江戸文学 、芸能に親近感を持つようになった。芥
川氏は創作の上においてロマンチックな特徴があり、現実主義 の傾向を持つ。創作の題材
から見ても芥川氏の作品は歴史と現実の二種類に分けられる。前期の作品は 歴史小説を主
とし、これらの作品の多くは古典伝記のストーリである。芥川氏は作品を通じて『杜子春 』
の中で自分が母親への愛に対する憧れを表現した。
芥川氏は、実家新原家の女中、吉村千代に一方的ともいえる恋情を寄せ、その気持を告白

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した手紙を出している。それは叶わぬ恋であった。次に彼は青 山女学院英文科出の吉田弥
生という才媛を知り、結婚の意思表示までしている。が、この恋も養家の人 々の反対にあ
って破局に至り、彼の心に深い傷を残すこととなる。



2.2芥川龍之介と『杜子春』

芥川龍之介の創造においてロマンチックな特徴が ある一方で、現実主義傾向を持ってい
る。彼の早期の作品は歴史小説がメインである。また、芥川氏の 早期作品の多くは中国の
古典文学を基礎に創造したものが多い。童話小説『杜子春』は1920年7月 に雑誌第5巻
第一号に発表した。始めは『夜来花』の短編集に収録された。作品は唐代の伝記小説『杜
子春传』を取り入れた部分がある。
周知のように、童話『杜子春』は『蜘蛛の糸』、『犬 と笛』、『魔術』に続き童話雑誌『紅
鳥』の上の第四篇作品。また、芥川氏が童話を作製するのは同時 、雑誌の編輯をしていた
鈴木三重吉の要望があったからである。三重吉は芥川を文壇までの恩人である 。そのため、
三重吉の要請がなければ今日の芥川童話は誕生しなかったのであろう。芥川龍之介は1919年3月に海軍機関学校英語教師の職を辞め、大阪毎日新聞社に入社し、専業作家と
なった 。そのため、芥川氏が「毎日新聞社」へ入職した心境を『杜子春传』を改編し『杜
子春』を製作した。 当時、芥川氏は両親を亡くしため「現実と向き合って生活しなければ
ならない」『杜子春』を書いたの はおそらく芥川氏が現実に直面した結果であるであろう。
「5」しかし、彼はそのまま写したり、模倣 をせず、選択したものを自分のものとして活
用し、彼の当時の心境や自分が人生に対する考えを表現し たりしている。彼のこの種の小
説の多くは歴史古典の小説をもとに創造された小説である。芥川氏は中 国唐代の小説『杜
子春传』をもとに、小説『杜子春』を創造した。『杜子春』の研究の多くは内容の異 同を
考察することが多い、『杜子春』が仙人になる動機及びストーリの集結の異同を焦点とし、
母親の愛の真実性及び平凡な生活のなかの真の幸福というモラルを主題とし、母親の愛情
と人性の肯 定等の問題について提議した。そのため、『杜子春』を中心に、文献分析と比
較の方法を通じて、そし て、芥川氏の個人生活経歴を通じて、原作と比較を通じて分析し、

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芥川氏が中国古典題材小説の創作方法及び芥川文学の独特魅力を通じて、芥 川氏と中国古
典文学の関係を通じ、芥川氏は原作の改編を通じて自分の大胆な想像を融合させ、ストー
リの内容、人物の形象をより充実させ、豊満にした。歴史の物語を借り、うまく現代社会
の問 題を処理した。彼が善と美、母親の愛に対する無限の憧れを反映した。これは、芥川
氏が古典文学に対 する創造能力と伝統の継承能力表現した。歴史小説は過去を再現する目
的ではない。正反対、小説は古 典を背景に、古典を素材とし、古人考えを借り、現在の人
のこころを喩する。従って、芥川が取り上げ た古典小説について研究することに現実的な
意義がある。筆者は『杜子春』から見る芥川龍之介の人性 観、母性愛への憧れを中心に探
っていきたいと考え、この主題を実現するため、芥川氏は自分の豊富な 想像と巧みな著作
技術によって、原作に対し添削と添加を行った。彼が自分で言うように、『杜子春』 の三
分の二は自分が創作したものである。そこで、筆者は母親の愛に対する憧れと人生に対す
る思考について分析したいと思う。



3.『杜子春』と芥川龍之介の人生観
3.1 母親の愛に対する憧れ

唐代の小説『杜子春传』のなかで、子供を愛する表現が以下のようにある。
盧生が大声で 怒鳴った;「昔、賈先生の妻は彼のことを見下していた、いつも顔を吊っ
ていた。その後、妻は賈先生 がキジを借りしているところを見て遺憾がなくなった。私の
地位は賈先生には及ばないが、私の才能は 彼の狩りの技術より百倍上ではないのか?それ
でも、きみは私と会話しようとしない。妻に見下された 男は自分の子供を持って何にな
る!」いいながら、子どもの脚を掴んで、外へ投げ出した。子どもの頭 は石にぶつかり、
頭が割れ、血が飛び散った。『杜子春』は子ども思いのあまり先生の教えを忘れ、思 わず;
「あ!…」と声が出なくなった。①

『杜子春』は必死になつて、鉄冠子 の言葉を思ひ出しながら、かたく眼をつぶつてゐま
した。するとその時彼の耳には、殆ど声とはいへな い位、かすかな声が伝はつて来ました。

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「心配を おしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより
結構なことはないのだ からね。大王が何とおっしゃても、言ひたくないことは黙つておい
で。」
それは確に懐し い、母親の声に違ひありません。『杜子春』は思はず、眼をあきました。
さうして馬の一匹が、力なく 地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐ
るのを見ました。母親はこんな苦しみの中 にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打
たれたことを、怨む気色さへも見せないのです。大金持 になれば御世辞を言ひ、貧乏人に
なれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせ う。何といふ健気な
決心でせう。『杜子春』は老人の戒めも忘れて、転ぶやうにその側へ走りよると、 両手に
半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。……②

この比較から見ての分かるように、芥川氏は本来の物語の主人公に対し大き な変動を
し、母親に変えました。芥川氏はどうしてこのようにして変換したのか?魯迅は1921年< br>に<鼻子>翻訳者付録のなかで芥川氏を次のように評価した。「彼の作品のすべての主題
の中で 一番多いのは希望が達成したあとの不安、もしくは不安時の心境、これは適当なサ
ンプルであると言え るだろう。」本文は『鼻子』と同じように、芥川氏は原作のストーリ
を編集しただけでなく、自分の感 情を表現するために、母親への愛を表現している。文中
の『杜子春』は様々な経験をしても文句を言わ なかった。母親が苦しい時になって、母親
の声を聞いたときに初めて声を挙げた。どうして、原作と比 べこんなにも変化があるのか。
これに対し、筆者は芥川氏の家庭影響が大きいのではないかと考えてい る。芥川氏が生後
八ヶ月、母親は気が狂い、彼も芥川家の養子となった。彼は母の愛に憧れ、『杜子春 』の
口を借り母親への愛を表現している。言い換えれば、芥川氏は彼の母親を非常に愛してい
た。母親に対する愛を無意識に『杜子春』の中へ融合し、そして、原作では子供に対する
愛を母親に対 する愛に換えた。この点から見て、芥川氏は自分の母親を非常に愛している
ことが伺える。同時に、芥 川氏の“母親への愛”を反映している。芥川氏は母親の愛を受
けたことがない人であり、そのため、作 品は彼の一種の潜在意識を反映している。また、
これも本文のテーマでもある。『杜子春』が地獄のな かで半死になった母親を抱いて、父
親を除き、母親から発せられた微かな声を直接表現し、母親の声が 彼の心の中へ確かに伝

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わった。ここでは母親が子ど もたちへの無償な愛を強調しているが、これもまた、芥川氏
が生後八ヶ月に神経が異常となった母親へ の叫びである。叫び声は心の中から発せられた。
作品の中で、母親の声は芥川氏の心の中から出たもの である。作品のなかで、母親に対す
る叫び声は芥川氏の心の声である。芥川氏の母親は彼に多くの愛情 や世話を与えることが
できなかったが、芥川氏は依然として母親の愛に憧れ、気が狂った母親を愛して いた。





3.1.1 愛に対する未練

愛に対する試練は二つの作品から情景の設定の上で大きな差異がある。
原作 のなかでは、未練についての描写は非常に簡単である。夫が息子を石に投げつけ死
なせたのをみた『杜 子春』は、あまりの悲しみみ声も出なかった。
それに、芥川氏はここで豊富な心理描写を加えた。 ここの部分は平岡敏夫が『杜子春』
の中で一番感動的であると考えている。まず『杜子春』が馬になっ た両親にひどく叩かれ、
重症を負った。倒れる寸前まで息も絶え絶えである。それでも、両目を閉じて 声を出さな
かった。そのあとで、母親が息も絶え絶えであるような声で自分に声を出さないように言< br>い聞かせようとした時に、「お母さん」と呼んだ。『杜子春』が声を発したのは母親が苦し
いか らではない、それは「声にもならない些細な音である。」この「声にもならない些細
な音」によって、 『杜子春』は格別に辛い思いであると表現することができる。『杜子春』
が両目を閉じたのはこの些細 で弱った「声にもならない些細な音である。」を聞くことで
ある。芥川氏は原作にある「母親が子ども に対する愛」を「子どもが母親の愛情に対する」
に改編し、このように、作品のなかで母親の愛の偉大 さをテーマに躍動している。原作で
は子供に対する愛を母親に対する愛に換えた。この点から見て、芥 川氏は自分の母親を非
常に愛していることが伺える。またこれは、芥川氏の“母親への愛”を反映して いる。母
親の愛を受けたことがない芥川氏は、、作品を通じて一種の潜在意識を反映している。『杜< br>子春』が地獄のなかで半死になった母親を抱いて、父親を除き、母親から発せられた微か

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な声を直接表現し、母親の声が彼の心の中へ確かに伝わった。 ここでは母親が子どもたち
への偉大な愛を強調しているが、これもまた、芥川氏が生後八ヶ月に神経が 異常となった
母親への叫びである。叫び声は心の中から発せられた。作品の中で、母親の声は芥川氏の
心の中から出たものである。この点から見て、母親への愛に憧れていることが伺える。



3.1.2 人性の問題について

芥川氏が描いた『杜 子春』は消極的で、世を嫌い、人に対して嫌悪な感じを持ち仙人に
なろうとした。その形象はストーリ が発展するに伴い変化していった。彼は金持ちの子で
あったが、財産を台無しにしたあと、鉄冠子と出 会い、二回に渡り大量の黄金を手に入れ
たがそれらの金銭を浪費した。しかし、鉄冠子が三回目に黄金 を送って来たとき、彼はそ
れを断り、老人とともに仙人になりたいと一緒に修行することにした。彼は 三回目の拒否
を通じて、「金はもういらない」「人は薄情である」ことに気づいた。<『杜子春』>の 中
で『杜子春』は自分が仙人になれなかったことを非常に喜んでいる。これは、以前人に対
す る不信任と絶望を持った『杜子春』が母親の偉大な愛によって、人に対する信頼感を取
り戻した。彼自 身、人と人との間には深い信頼があり、普通の生活は「愛」と「生活難」
を超える神様の世界より、よ り幸せであることを認識し始めた。1914年夏、芥川氏は吉
田弥生と交際を始めたが、これは結婚を 前提とする交際であった。1915年春、芥川氏は
家族に彼女と結婚することを提議した。しかし、こ れに対し芥川家の全員が反対した。芥
川氏は、母発狂のため、新原家から芥川家へ養子に出された。母 死後、新原家は、龍之介
を取り戻そうとし、両家はいがみあった。吉田弥生が新原家と親しい間柄であ ったので、
芥川家は、龍之介の吉田弥生との結婚に反対した。
挙式のときに顔を会わせるこ とになるのが嫌だったのだと考えられる。芥川氏は妥協し、
吉田を結婚する考えを放棄した。そして、 失恋の悲劇が発生したのである。
「本の世界から現実の世界へ」芥川氏は自分の失恋の経験のなか で、彼は愛のしたに醜
い利己主義があり、他人の人生に取り巻く人生の「生存の苦と寂しみ」がある。 失恋の辛
さのなかで苦しみ続ける芥川氏、これを自分の親友に腹を割って話したことがある。

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失恋事件によって、芥川氏は「我がままな心」「 利己性」を持った人の心を完全に見
透かすことができた。更に両親が自分に対する愛情についても私情 のためであると疑うよ
うになった。彼は人性の根本的な問題によって苦悩している。これらの苦悩は芥 川氏を更
に孤独にさせている。そのため、自分が現実のなかで実現できなかった理想を文学作品を通じて、表そうとしている。失恋を通じて、芥川氏に二つの人生観をもたらし、強烈な印
象を与え た。一つ目は彼は人間が醜悪で、我がままなこと。彼は周囲の人を憎い、自分も
憎むようになった。こ れによって、世の中を嫌う思想が生まれた。二つ目によって、彼は
更に孤独となり、現実から回避しよ うとした。そして、滑稽な古典世界のなかへ耽るよう
になった。同時に、芥川氏は人生に対してポジテ ィブな態度を取り、世の思想のなかに取
り込むこと、そして、日常生活の中で様々なことを経験するこ とによって本当の切実な生
活を送り、人に対する不信任と絶望から、自分の人生観を変えることができ た。
芥川氏は幼い時に母親を失った辛い経験があるために、小説に母親の愛、そして人間の
愛を呼びかけ、仙人になるより、愛を大切にというの自らの考えを表した。芥川は人間の
愛の旗を高く 掲げて、熱情的に愛の偉大さをたたえる。芥川氏は母親に対する愛をその中
へ融合させ、彼は母親の愛 を非常に憧れていたことが伺える。

3.2 追い求める母親の愛と人生観
< br>原作の中の『杜子春』は「親子の愛」によって、仙人になれなかった。しかし、芥川氏の
筆の下 で描かれたのは母親忚じるものであった。芥川氏がこのように書くことによって、
周囲の人に彼の経歴 が特殊であることを連想させることにつながる。周知も承知のように、
芥川氏は実の母親の愛を受けた ことがない人である。彼の記憶のなかで、「母の愛」は空
白である。そのため、彼は物事を理解できる ようになってから、ずっと「母親に対し精神
依存の中で生きてきた」。母親のところで、母親の愛を受 けてことがなく、母親の世話を
受けたこともない。また、伯父の家に引き取られため、父親に対する感 情もない「6」そ
のため、この小説の中で、母親の愛は無限に拡大され、父親を取り上げることはなか った。
「心配するな、私たちはどうなってもいい、あなたさえ幸せになれれば、何よりも大事」
「8」息子さえよければすべてよし、これが偉大な母の愛情であり、芥川氏心中の理想の
母親像の凝 縮である。『『杜子春』』の中で母親の出現を通じて、作家は自分が母親に対す

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る愛の気持ちを表現できなかったうっぷんを晴らした。そのため、『杜子春 』のこの「お
かあさん」という声は童話のなかから発せられたものではない、これによって、芥川氏の
人生観に変化が起こり、自分が追い求める母親の愛を認識し、人間に戻る決心をしたこと
を表 現した。作品の中で、母親の声は芥川氏の心の中から出たものである。、母親に対す
る叫び声は芥川氏 の心の声である。母親の愛情があれば、『杜子春』はたとえ仙人になれ
なくてもいい。人生に愛があれ ば、何を失っても惜しむことはない。非常に価値があるも
のである。これは人が世界の上で生活してく 最も重要な原因のひとつである。芥川氏は人
の愛の旗を掲げ、子どもに対する愛情があれば、母親がど んなに辛くてもそれに耐えるこ
とができる。母親の愛情があれば、『杜子春』はたとえ仙人になれなく てもいい。人生に
愛があれば、何を失っても惜しむことはない。非常に価値があるものである。これは 人が
世界の上で生活してく最も重要な原因のひとつである。このように、彼の人生観が尐しず
つ変化していった。
芥川氏の母親は彼に多くの愛情や世話を与えることができなかったが、芥川氏は 依然とし
て母親の愛に憧れ、気が狂った母親を愛していた。




4.母親の愛の偉大さと影響

4.1 愛情と我がままな性格

芥川氏は様々な作品のなかで、人の我がままな性格の問題に対し、繰り返し討論してい< br>る。『杜子春』の中で、芥川氏によって書かれた『杜子春』は世からはなれ、仙人になろ
うとし たのは彼が人生の中において、二回に渡り変動があったからである。人性の我がま
まを認識し、そして 、人に対して嫌悪を持つようになった。そのため、現実生活のなかの
芥川氏もそのとおりであった。
「本の世界から現実の世界へ」芥川氏は自分の失恋の経験のなかで、彼は愛のしたに醜
い利 己主義があり、他人の人生に取り巻く人生の「生存の苦と寂しみ」がある。失恋の辛

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さのなかで苦しみ続ける芥川氏、これを自分の親友に腹を割って話したことがある。
芥川氏 は人間の愛の旗を高く掲げて、熱情的に愛の偉大さをたたえる。息子にむかう優
しい愛があるから、母 は痛みを忍ぶことができる。母に向かう愛があるから、杜子春は仙
人になれなくてもよかったのである 。ここは一番重要だと思う。人生の中で、愛があれば、
どんなことを失っても構わない、仙人になるこ ともこの愛には適わない。それも人類がこ
の地球で永遠に存在できる最大の原因であると作者は教えよ うとしている。芥川氏はこん
な考えをもって原作を再創造した。
芥川氏は小説と原作の中 の人類の愛に対し、肯定した。そして、情景の発展も殆どが一
緒である。しかし、反映したテーマの本 質は大きく異なっている。芥川氏の『杜子春』の
なかでは母親の愛の偉大さを肯定した。



4.2 利己主義者批判と母親の愛の偉大さ

芥川氏は芸 術の世界、夢の世界の中で自分で幸福と世の醜さを見つけた。現実世界を超
脱しようとし、仙人の世界 の『杜子春』とダブらせた。確かに仙人自身が『杜子春』に声
を出さないように言ったが、実際ところ 、もし『杜子春』が最終的にこのようなことをし
ては死亡の懲罰を受けることになる。ここには、仙人 の「人生観」と作者の「人生観」が
ある。芥川氏は仙人の言葉を通じて、世間に存在する利己主義者に 対して、人情に冷酷な
人性に対し厳しく非難した。同時に、母親の愛の偉大さを賞賛した。仙人という 人は杜子
春の人生導師であり、仙人になることは杜子春にとっての試練であったというだけのことである。この目的は、杜子春がまじめな人になって、落ち着いた生活をさせることである。
杜子 春が愛というものを完全に捨てられず仙人になりそこなった時に、彼はすこしも後悔
してない。かえっ て、自分が愛のある人間であることを発見し、これ一つあれば、人間と
して生きていても悪くはないと 喜んでいた。『杜子春』の末はこうなる。「仙人になれませ
んが、しかし私はなれなかったことも、か えって嬉しい気がするのです。」「いくら仙人に
なれたところが、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を 受けている父母を見ては、黙ってい
るわけには行きません。」「なんになっても、人間らしい正直な暮 らしするつもりです。」

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杜子春の声には今までに ない晴れ晴れした調子が罩っていました。小説では、杜子春は、
愛を捨てるより仙人になれなくてよい 、ただ普通の生活がいいと思うのである。杜子春は
人間の社会へ戻って人間らしい、正直で素朴な暮ら しを始めた。彼は仙界への憧れを断念
し、人間における愛の重要性に気づくる。愛は、人々の人間の本 性に生きることである。
これを通じて、自分が人性に対する善悪優劣の思考を表現した。これは芥川龍 之介が現代
人哲学的な思考であると言えるだろう。
しかし、「ふつうの人のように普通に 生活する」これは芥川氏の本音である。母親を呼
びかける声は地獄に立った幽霊のようであった。鉄冠 子で得た家と土地は現実の中では実
現できない夢の世界である。これは芥川氏が冷静な目で現実を観察 し、人生について細か
に見てきた。それでも、現実の醜態問題を解決することができない。彼から見て 最も賢い
芸術至上主義の道は自分だまし人をだますことであり、彼はこのために必ず大きな精神犠牲を払わなければならない。芥川氏はこのような矛盾の気持ちと未来に対する不安の中、
自分のた めに現実から逃げる道を選択した。小説を通じて母親の愛、そして人間の愛を呼
びかけ、仙人になるよ り、愛を大切にというの自らの考えを表した。間の愛の旗を高く掲
げて、熱情的に愛の偉大さをたたえ る。


4.3芥川氏が人生に対する思考

同様に、『杜 子春』のなかで、芥川氏は自分が人生に対する思考をその中へ入れた。終
わりの部分について原作と比 べてみる。
『杜子春』の中で;『杜子春』が家に帰ったあと、仙人への誓いをしなかったことを悔
やみ、仙人のところへ帰り、自分の過失を償おうとした。そして、彼は雲台峰に行ったが、
何 もなかった。残念と後悔の気持ちで私は帰った。
これと対忚するのが『杜子春』の結末にある;「 何になつても、人間らしい、正直な暮
しをするつもりです。」
『杜子春』の声には今までにない爽やかな口ぶりがあった。

原作の中で、『杜子春』は鉄冠子の思想を受けたが。仙学を身につけたいのであれば世

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を避けなかればならない。そして、仙人になりたいのであれば、この世の悩 みから離れな
ければならない。人生の苦痛は人の情感である。このような苦痛から離れるためには自分
の情感を抑制しなければならない。また、人類の愛に対し否定的な態度を持つ。芥川氏が
改編 したあと、『杜子春』は以前のような世を避ける態度から積極的に世に馴染むように
なった。彼は一般 人のような生活に憧れ、ここで『杜子春』の選択というより、芥川氏が
人生に対する哲学的な思想であ ると言える。芥川氏は現代社会の人類の苦悩について十分
に理解している。人生の様々な喜びや苦悩な どによって構成され、もしこれらを取り除け
ば人生は真っ白になる。これも絶対に実現することがない 。このことは芥川氏が現代社会
の苦難に対する一種のしかたなしであり、超脱の一つでもある。芥川氏 は生活の中で、そ
の辛さ、生活のいろいろな味を経験した。それと同時に、彼もまた積極的に世と接触 する
態度を取り、生活の味を体験してこそ、切実に生活したことがあると言える。生活そのも
のは様々な味わいがある。同時に,芥川氏は人類の愛の旗を掲げ、子どもに対する愛情が
あり、母親が いくら辛くても耐えることができる。母親の愛情があれば、『杜子春』はた
とえ仙人になれなくてもい い。人生に愛があれば、何を失っても惜しむことはない。非常
に価値があるものである。これは人が世 界の上で生活してく最も重要な原因のひとつであ
る。
芥川氏の『杜子春』は単純に機械的 に中国の作品を写したのではなく、中国の古典物語
に新しい内包を与えた。芥川氏は母親に対する愛を その中へ融合させ、彼は母親の愛を非
常に憧れていた。そして、自分の母親を非常に愛していた。同時 に、芥川氏は人生に対し
ポジティブな態度を取り、世の思想のなかに取り込むこと、生活の中で様々な ことを経験
することが本当の切実な生活である。人に対する愛、子ども或いは母親に対する愛こそが< br>人が生きていく上で最も重要な原因である。社会の中には苦しみや辛いことがたくさん存
在する が、これらの消極的或いは何もしないで天下が治まる思想は受け入れられない。こ
のような人生は無意 味である。

5.結論
芥川氏は原作の改編を通じて自分の大胆な想像を融合させ 、ストーリの内容、人物の形
象をより充実させ、豊満にし、彼が善と美、母親の愛に対する無限の憧れ を反映した。原
作のストーリを編集しただけでなく、自分の感情を表現するために、母親への愛を表現 し

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ている。文中の『杜子春』は様々な経験をして も文句を言わず、彼は母の愛に憧れ、『杜
子春』の口を借り母親への愛を表現している。言い換えれば 、芥川氏は彼の母親を非常に
愛していた。母親に対する愛を無意識に『杜子春』の中へ融合し、そして 、原作では子供
に対する愛を母親に対する愛に換えた。この点から見て、芥川氏は自分の母親を非常に 愛
していることが伺える。また、これは芥川氏心中の理想の母親像の凝縮である。『杜子春』
の中で母親の出現を通じて、「おかあさん」という声は童話のなかから発せられたもので
はなく自分が 母親への愛に対する憧れを表現した。
同時に、芥川氏の“母親への愛”を反映している。芥川氏は母 親の愛を受けたことがな
い人であり、そのため、作品は彼の一種の潜在意識を反映している。前述のよ うに、母親
が子どもたちへの無償な愛を強調しているが、これもまた、芥川氏が生後八ヶ月に神経が< br>異常となった母親への叫びである。叫び声は心の中から発せられた。作品の中で、母親の
声は芥 川氏の心の中から出たものである。、母親に対する叫び声は芥川氏の心の声である。
芥川氏の母親は彼 に多くの愛情や世話を与えることができなかったが、芥川氏は依然とし
て母親の愛に憧れ、気が狂った 母親を愛していた。
もちろん、芥川龍之介および彼の文学と中国古典文学について述べることは筆 者にとっ
て非常に困難な課題である。また、筆者の論理水準には限度があり、論文中にはミスや漏れが生じることがあり、指摘して頂ければ幸いである。

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注释;
①『鲁迅全集』第十卷,『鼻子』译者附记,人民文学出版社1981.226页
②芥川龙之介全集;第三卷,高慧勤编,济南;山东出版社;2005






参考文献;
1 吉田精一. (1979) 51-52芥川傀之介Ⅱ[町. 柬京:棱掘社
2 海老井英次 (1982) 『杜子春』.见:三好行雄.芥川能之介必携[M] 柬京:学缝社,
3 松村定孝 (1988) 日本近代文学与中国——关于泉镜花与芥川龙之介[J].承徵师专学报
4 成瀬哲生 (1989) 芥川龍之介の『杜子春』 徳島大学国語国文学
5 影山恒男 (1990) 『杜子春』-芥川能之介[M] 柬京:双文社出版
6 平岡敏夫 (1992) 『杜子春』ー母親を叫ぶ声 東京;大修館書店
7 孟庆枢 (1996) 芥川龙之介与中国文学. 东北师大学报(哲学社会科学 版)
8 邢化祥 (1996) 芥川龙之介与中国文化 中外文化交流
9 宫本显治 (1997) 败北的文学[c].芥川龙之介全集别卷[A] 东京:筑摩书房
10高慧勤等编 (2005) 芥川龙之介全集[M]:第l卷 济南:山东文艺出版社
11高慧勤编 (2005) 芥川龙之介全集;第三卷 济南;山东出版社
12郭艳萍. (2005)再论芥川龙之介 [J]. 日本学论坛,








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8 謝辞;

本論文は安 倩先生の指導のもと完成しました。安茜先生は責任ある教学態度と作製方法
を私に教え、自分に与えた 影響は非常に大きいです。論文完成の今、私は安茜先生が今ま
で指導していただいたことに感謝の意を 評します。私の今後の学習と生活に大きな影響を
与えました。また、各先生の指導によって私は今後の 仕事に対し良好な基礎を固めること
ができました。非常に感謝しています。
本文の作製過 程のなかで、学術論文や様々な本を参考にしました。また先生からも貴重
な意見をいただいた、そして 、忙しいなか私の論文討論に時間を割いてくれた各先生に感
謝の意を表します。

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